夫が風邪と思わしき症状で体調を崩し、娘も高熱でピンチ!
とヒヤヒヤしてましたが、私は元気です。体の強さを、ありがとう。
三尖弁閉鎖症を持って生まれた長女
私にはこの高熱を出した娘と、もう一人娘がいます。
生きていれば、5歳のお姉ちゃんです。一人目の子なので以下『コイチ』という愛称で呼ばせていただきます。
コイチは「三尖弁閉鎖症」という心臓の病気を持って生まれてきました。
生まれてから1年4ヶ月、ずっと入院生活でした。
そして、コイチは命を終えてようやく家に帰ることが出来ました。
初めて家族だけで過ごす、幸せな時間でした。
ちなみに私は、今お腹の赤ちゃんの病気について不安に思われて、ここに辿り着いた方の参考になることはあまり持っていないかもしれません。
コイチと家で過ごしたことがないので医療ケア児との過ごし方を知りませんし、
もちろん付き添い入院(もうすぐ退院する子の親御さんがすること)もしたことがないので、どれほど大変なのか分かりません。
しいて言うなら病院の費用は心配するほどじゃないですよ、ってことだけでしょうか。(これはまた参考程度にいずれ書けたら)
ただ、少しでも力になれたらうれしいです。
妊娠20週で見つかった心臓の異常
結婚後、比較的早く妊娠することが出来ました。子どものいる家庭を願っていたので、とてもうれしかったです。
しかし、妊娠20週の妊婦健診で胎児の心臓に異常が見られ、専門の病院で診てもらうことになりました。
夫も休みをとって、エコー検査に立ち会ってくれました。
4人ほどの先生が順番に私のお腹にエコーをあて、心臓の状態や血流を確認しました。合計で40分ぐらいだったでしょうか。
「心臓が4つに分かれておらず、血液の逆流もある。」
(正常な心臓は、中が右心室・左心室・右心房・左心房に分かれて機能しています。)
先生からの話では、「何度か手術は必要ですが、退院して普通に生活している人はいますよ。」とのことでした。
(定期的な検査や通院、状況によっては運動制限や手術も必要になることもありますが、ここでは「普通の生活」と表現させていただきます。)
もちろん生まれてからじゃないと分からないことの方が多いので、どうなるかは分かりません。
そして、その時は妊娠20週。
私たち夫婦には産むか産まないかの選択の余地がありました。
「どれくらい生きていけるのだろうか」
「不自由の多い人生にならないかな」
「この子にとって十分な治療が出来るだけのお金を払っていけるのだろうか」
一瞬の間に湧き出る不安と心配。
一度持ち帰り、夫と話し合おうと思い、夫と目を合わせました。
私たちの決断
「この子に会いたいと思ってる」
夫の気持ちは決まっていたようでした。
正直に言うと不安や心配より、しっかり胎動も感じているこの状態でこのまま離れること選ぶのは難しいと考えていました。
ただ、金銭的にフォロー出来ない収入のない私の一存では決められないな、と思っていた矢先の夫の発言でした。
とてもうれしかったことを今でも覚えています。
私たちの決断を聞いて、先生はニコッとほほえんで、
「きっと可愛いと思うよ^^」
と言ってくださいました。
私、号泣。(凛々しい母になりたくてせっかく我慢してたのに。笑)
出産予定日2週間前、管理入院開始
その後、一度3日間の検査入院をしました。
血糖値検査や血液検査等で母体の状態を見たり、改めて胎児エコーをしたりして過ごしました。
それからも順調にお腹の中ですくすくと大きくなり、予定日2週間前から管理入院でした。
一日の内容としては、胎児の心音チェック3回、体温と血圧測定2回、NST(ノンストレステスト)1回。
そして週に1回、エコー検査と体重測定。(5年前の記憶なので大体ですが、こんな感じでした。)
しかし入院中はなんせやることがない。笑
出産に向けて歩いた方がいいけど、気安く外には出られないので病院内をうろうろするだけ。
外出許可を取れば出られますが、”気安く”はないです。そりゃそうだ。管理が必要なんです。
そんな中で夫と近くのコメダ珈琲に行ったのは、すごく思い出に残っています^^
入院生活も3週間になり、(何もしてないのに)疲れが出てきた深夜0時過ぎ、陣痛が始まりました。
次回に続きます。
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